神経症という用語は、1772年にカレン(Cullen,W.)によって定義されました。カレンの神経症は、発熱や局所的な障害を伴わず、感覚と運動を巻き込む包括的な神経性の疾患を意味しており、有史以来の歴史を持つヒステリーをはじめ多くの臨床的病態を含むものでした。
その後、19世紀にはそこから初老期痴呆といった器質疾患や、統合失調症や躁うつ病といった内因性精神病などが次々に分離されることで、その概念は縮小しつつも、損傷のない病であるという点が強調されていきます。
このような流れの中で、シャルコー(Charcot,N.M.)は神経病としてのヒステリーの研究に取り組み、弱い電流を通電したり、大きな音叉の音によって症状に変化がみられることなどから、ヒステリーが何らかの生理的異常を伴う神経病であることを主張しました。
これに対して、ベルネーム(Bernheim,H.M.)は、ヒステリーは、ある機会に起こした情動反応を何かのきっかけで想起し、自己暗示の働きで観念力動作用が生じてあらわれた精神力動的反応に過ぎないとして、ヒステリーの病因を器質以外に求めました。
1882年には、ブロイラー(Breuer,E.)がヒステリー患者であるアンナOを治療する中で、病気になる前に体験した、死に瀕していた父親の看病をしていた時に見えた黒蛇の幻視が再現され、それが物語られたことを最後にヒステリー症状が消失したことが確認されます。これを契機に、ヒステリーは心理的な病として見られるようになっていきます。
こういったヒステリーの研究と平行して、1869年には、ビアード(Beard,G.M.)が、神経衰弱という病態概念を提示しました。神経衰弱は、過剰な労働と緊張にさらされて消耗することで生じる機能的神経症疾患であり、身体と精神両面にわたる多くの疾患の原型であって、神経症から精神病に至るすべての精神疾患の前段階とされていました。
誰にでも起こり得、あらゆる器官や機能において生じるとされる神経衰弱の概念は、ヒステリーと並んで神経症を二分するようになります。そして、神経衰弱の概念が普及するにつれて、多種多様な神経症群が精神衰弱に吸収される形になっていきました。
病的な不安や強迫の諸症状、心気症症状なども、神経衰弱の病像を構成するものとして扱われるようになっていた中で、フロイト(Freud,S)は、1894年に神経衰弱から不安症状を中心とした症候群を分離して、不安神経症としました。
フロイトは、不安神経症を基本的に神経系の疾患と考えており、身体的基盤を持つ現実神経症に分類した一方で、無意識的葛藤の結果生じる精神神経症に、転換ヒステリーを分類しました。他にも、フロイトは、それまで不安障害と分節化されていなかった強迫観念を分離し、強迫神経症をあらたな神経症の一員としたり、恐怖症という神経症病型を明らかにしたりしました。
こうして神経症は、下位概念として神経衰弱、不安神経症、転換ヒステリー、心気症、強迫神経症、恐怖症等をもつことになります。
その後、明確な診断基準を求める動きの中で、病因論的な面から疾患分類がなされていたものが、次第に症状論的な面からなされるようになっていきます。
その結果、ヒステリーや神経症という名称は消失し、解離性障害などへと分類されるようになっていきます。
また、不安神経症と強迫神経症の病像は、不安障害や強迫性障害へと引き継がれていくことになります。
参考文献
- 上島国利(監修) 2005 神経症性障害とストレス関連障害 株式会社メジカルビュー社
- 松下正明(総編) 1997 臨床精神医学講座 第5巻 神経症性障害・ストレス障害 中山書店