精神疾患の歴史

18世紀以前

 精神疾患は古来より存在し、その捉え方は時代とともに変化してきました。古代ギリシアではその初期において、狂気の原因は超自然的なものとする考えが一般的でしたが、紀元前450年から350年頃には経過観察に重きを置く実証的な医学論が形成されはじめ、ヒステリーやてんかんなどに言及されるようになります。また、古代ギリシアでは、マニアやメランコリアなど、今日の精神疾患概念の原型が誕生したともされています。しかし、病因論については哲学的な域を出きらず、宗教の力が強まった中世ヨーロッパでは悪魔や悪霊が憑くことが狂気の原因とされるようになりました。そのため、この時代の治療は悪魔祓いのような宗教的なアプローチが主体となっていきます。

 17世紀末頃になると科学的な実証方法が人々の間に徐々に浸透しはじめます。1772年には、カレン(Cullen,W.)によって神経症(neuroses)という用語が定義されました。しかし、カレンの神経症は現代とは異なり、卒中や麻痺、幻覚妄想を呈する精神病など、発熱や局所的な障害を伴わず、感覚と運動を巻き込む包括的な神経性の疾患を意味しており、有史以来の歴史を持つヒステリーをはじめ多くの臨床的病態を含むものでした。

精神病の変遷

 1845年には、精神病患者を臨床の対象としていたグリージンガー(Griesinger)が「精神病は脳病である」として、精神病の研究は自然科学に基盤を置く医学でなければならないとしました。この流れを受けて、精神病が神秘主義から自然科学に基づく医学の対象となっていきます。1852年にはモレル(Morerl,B.A)が、子孫へ遺伝的に伝達される病的変異で、世代を経るごとに重篤化するという変質の理論を導入し、元来明るく活動的である青年が、次第に抑うつ、寡黙、引きこもりをみせる様に対して早発性痴呆という名称を与えました。また、1871年にはヘッカー(Hecker,E)が破瓜病を、1874年にはカールバウム(Kahalbaum,K.L)が緊張病を疾病単位として提唱しました。さらに1896年には、クレペリン(Kreapelin, E)が、これら破瓜病や緊張病などを早発性痴呆の下位群として早発性痴呆の概念を広げました。また、クレペリンは、躁とうつおよびその間には健康な時期(中間期)が周期的、交替的に経過する疾病単位を躁うつ病とし、躁うつ病が気分状態の周期的な変動を呈しながらも人格の崩壊はきたさないのに対し、早発性痴呆は慢性・進行性に経過して末期には特有な人格変化をきたすとして両者を対置して区別しました。

 このようにして、早発性痴呆(現在の統合失調症)と躁うつ病が区別された精神病は、カレンの言う神経症の概念から独立していき、カレンの神経症概念は縮小しつつも、損傷のない病であるという点が強調されていきます。19世紀には、梅毒病原体によって起こされる脳の疾患である進行性麻痺は、一定の病因、症状、経過、予後、病理組織学的所見を備えていたため、器質性精神病だけでなく精神病一般の疾病単位のモデルとされていました。しかし、クレペリンの期待に反して早発性痴呆の原因菌は見つからなかったため、このような疾患は「内的な原因は仮定されるが同定されていない」という意味で内因性精神病として、原因が明らかな外因性のものと区別してまとめられることもあります。

 その後、早発性痴呆特有の人格荒廃は、痴呆(認知症)とは区別されるという見方が隆盛していく中で1908年にブロイラー(Bleuler,E.)は、クレペリンの考えを基礎にして精神分析学を取り入れながら横断面的症状に力点を置き、「精神分裂病(schisoprenia)」の概念を提唱しました。日本では、ブロイラーの提唱したschisopreniaという病名に精神分裂病という訳語を当てていましたが、誤解や偏見を払拭し適切な認識を広める目的で、2002年に統合失調症と病名の変更がなされています。

神経症の変遷

 グリージンガーが精神病患者を臨床の対象としていた一方で、シャルコー(Charcot,J.Mは、パリのサルペトリエール病院でヒステリー患者を治療していました。当時ヒステリー患者が示す神経症状は、脳よりも末梢神経を専門とする医師の領域とされており、それと関連して神経症という呼び名が使われるようになります。シャルコーは、弱い電流を通電したり、大きな音叉の音を鳴らしたりすることによって症状に変化がみられることなどから、ヒステリーが何らかの生理的異常を伴う神経病であることを主張しました。これに対して、ベルネーム(Bernheim,H.M.)は、ヒステリーは、ある機会に起こした情動反応を何かのきっかけで想起し、自己暗示の働きで観念力動作用が生じてあらわれた精神力動的反応に過ぎないとして、ヒステリーの病因を器質以外に求めました。1882年には、ブロイラー(Breuer, J.)がヒステリー患者であるアンナOを治療する中で、病気になる前に体験した、死に瀕していた父親の看病をしていた時に見えた黒蛇の幻視が再現され、それが物語られたことを最後にヒステリー症状が消失したことが確認されます。これを契機に、ヒステリーは内因や外因を含む身体因的な病としてよりも、心理的な病として見られるようになっていきます。

 こういったヒステリーを対象とした研究がおこなわれる一方、1869年には、ビアード(Beard,G.M.)が、神経衰弱という病態概念を提示しました。神経衰弱は、過剰な労働と緊張にさらされて消耗することで生じる機能的神経症疾患であり、身体と精神両面にわたる多くの疾患の原型であって、神経症から精神病に至るすべての精神疾患の前段階とされていました。誰にでも起こり得、あらゆる器官や機能において生じるとされる神経衰弱の概念は、ヒステリーと並んで神経症を二分するようになります。そして、神経衰弱の概念が普及するにつれて、多種多様な神経症群が精神衰弱に吸収される形になっていきました。

 病的な不安や強迫の諸症状、心気症症状なども、神経衰弱の病像を構成するものとして扱われるようになっていた中で、フロイト(Freud,S)は、1894年に神経衰弱から不安症状を中心とした症候群を分離して、不安神経症としました。フロイトは、不安神経症を基本的に神経系の疾患と考えており、身体的基盤を持つ現実神経症に分類した一方で、無意識的葛藤の結果生じる精神神経症に転換ヒステリーを分類しました。他にも、フロイトは、それまで不安障害と分節化されていなかった強迫観念を分離し、強迫神経症をあらたな神経症の一員としたり、恐怖症という神経症病型を明らかにしたりしました。こうして神経症は、下位概念として神経衰弱、不安神経症、転換ヒステリー、心気症、強迫神経症、恐怖症等をもつことになります。

 その後、明確な診断基準を求める動きの中で、病因論的な面から疾患分類がなされていたものが、次第に症状論的な面からなされるようになっていきます。その結果、外因性、内因性、心因性という枠組みはなくなっていきます。また、ヒステリーや神経症という名称は消失し、身体表現性障害や解離性障害へと分類されるようになっていき、不安神経症と強迫神経症の病像は、不安障害や強迫性障害へと引き継がれていきます。

参考文献

  • 上島国利(監修) 2005 神経症性障害とストレス関連障害 株式会社メジカルビュー社
  • 大野裕(編) 1996 チーム医療のための最新精神医学ハンドブック 弘文堂
  • 日野原重明・井村裕夫(監修) 2002 看護のための最新医学講座 第12巻 精神疾患
  • 松下正明(総編) 1997 臨床精神医学講座 第5巻 神経症性障害・ストレス障害 中山書店