ピアジェの認知発達理論

ピアジェの認知発達理論

 ピアジェ(Piaget,J.)は、生物学的な適応と同じように、認知的な適応も同化と調節との均衡から成り立っていると考えました。同化とは、発達途上にある有機体の構造へと、あるいはその完成された構造へと、外的要素を統合すること、とされます。生物が栄養物やエネルギーを摂取してそれを生体の維持や成長に役立てるように、認知的な行為も諸対象を機能的に取り込んで行為において一般化されうるもの(シェム)の保存と拡張に役立てようとします。ただし、同化だけを想定した場合、構造に変異を生み出すことはなく、さらに発達するといったこともありません。そこには必ず調節が伴います。調節とは、同化される対象の影響下で、同化のシェムや構造が多少とも修正されること、とされます。同化と調節は不可分で、一般的には調節なき同化も同化なき調節も存在しないとされます。

 この同化と調節の間の均衡の形態は発達水準によって異なり漸進的に進んでいきますが、あらゆる過程を通して中心化から脱中心化へと進んでいきます。中心化とは、自分自身の行為と他者や物との未分化、あるいは自己の視点と他者の視点の未分化から、主体が自分自身の行為や観点を絶対的なものであるかのように捉えることです。例えば3歳くらいの子どもは、自分が乗っている車と直角に別の車が来た時に「こっちへ来ちゃいや。あっちへ行って」と言い、車が行ってしまうと「ほら向こうへ行った。私が来てほしくなかったからね」と言うかもしれません。こういった言動は、主観と客観が未分化ゆえにおこります。このような目の前の現実が優位な状態からより抽象的に考えられるように、また一方で目の前の現象の見た目にまどわされずその現象の背景にあるものにまで目を向けられるようになっていくことが脱中心化です。

 中心化から脱中心化へと至る認知発達の段階区分は、ピアジェ自身の著作においても様々に区分されていますが、感覚運動期、前操作期、具体的操作期、形式的操作期の4つに区分されるものが一般的とされます。

 感覚運動期は、誕生から2歳くらいまでの時期です。生まれた直後、乳児は主体としての自分を意識していないとされます。世界が存在するという知識も、自分が存在するという知識もありません。ただ生まれながらに持っているいくつかの行動のパターンが環境の中で働き、働きかけたものの性質によって修正されていきます。主に感覚と運動の協応によって外界に適応していくのです。こういったことが繰り返されていく中で、行動のひな型ができあがっていきます。この時期には言語がないため、ものの集合体をあらわすような概念もありません。かわりに、行動で世界と関わる子どもは、違っているけれどよく似たいくつかの行動に共通するシェムを使って行動していくのです。シェムは、言語を媒介とする概念的なまとまりの、より簡単なものです。単純化されたイメージなどではなく、行為において繰り返され一般化されうるものです。こうしてはじめは生得的な反射によって受動的に世界と関わっていた乳児は、徐々に能動的に外界へ働きかけていく方法を発明していきます。
 この時期のはじめには、目の前に提示された物に手を伸ばしてそれをつかむことができるものの、物をつかむ前に物を見えなくすると、乳児は手を引っ込めてしまい、それ以上物を探そうとしません。しかし、1歳になる頃位までには、手に入れたい物が目の前で隠されていったん視界から消えてしまっても、カバーを除去して物を再び手に入れることができるようになっていきます。このように、この時期を通して対象の永続性についての理解も進んでいきます。この時期の終わりごろには延滞模倣も生じます。

 前操作期は、2歳から7歳くらいまでの時期です。感覚運動期の終わりからこの時期にかけて、言語をはじめとした記号によって、物事を象徴的にあらわすことができるようになっていきます。これによって、今までに得られた表象を、環境内でおこなう実際の行為に関連していろいろと操作できるようになっていくのです。例えば、2歳くらいの子どもが、ビー玉を箱のふたの上に並べ、近くにある熊のおもちゃの口のところへ一つずつ持っていくような場面には、お皿や食べ物をはじめとした一連の行為が象徴として用いられていることが見て取れるでしょう。象徴による思考があらわれると、子どもの使用する言語の数がめざましい勢いで増えていきます。ただし、言語の使用が突然適切な形でなされるわけではありません。そういった思考を適切に進められるようになるためには、それまでシェムとして構成されていたすべてのものを、長い時間をかけて概念の形で再構成する必要があります。この時期の特にはじめの頃には、子どもの持つシンボルは自身のプライベートな体験から形づくられたものであり、真の普遍性や単一性を持つ概念との中間的な存在という意味で前概念的です。上記の3歳の子どものような発言や、「ペンをなくしちゃったの。なぜって私はいま書いてないから」のように、ことばに本来の意味をこめて使うことが難しかったり、思考に論理的な誤りが見られたりするのです。この前概念的な限界が、徐々に克服されていきます。こういった特徴があるため、この時期は具体的操作がおこなわれるための準備の時期として前操作期とされ、時に具体的操作期とセットで1つの時期として区分されることもあります。

 具体的操作期は7歳から11歳くらいまでの時期です。この時期には、可逆的に考えられるようになります。例えば、20個1組の木製の玉のうち、2個が白、18個が茶色のものを子どもにわたし、「木の玉と茶色の玉、どちらがたくさんある?」と質問をすると、この時期の子どもは正しく答えることができますが、より前の時期にいる子どもはうまく答えることができません。これに正しく答えるためには、まず、白い玉のクラスと茶色の玉のクラスを包含する木の玉のクラスをつくる必要があります。そして、この操作を頭の中で逆にして、木の玉のクラスから白い玉のクラスを分離し、茶色の玉のクラスを作り直さなければなりません。同時に茶色の玉のクラスをその中に包含しておくために、木の玉のクラスを保持しておくことも必要なのです。こういった逆にして考えることが、この段階より前では難しく、部分(茶色の玉)を全体(木の玉)と比べることにして部分(茶色の玉)と部分(白の玉)を比べ合わせ、全体(木の玉)が失われるといったことが起きます。また、見た目の形の異なる容器に同じ量の水を入れるということも、この時期になってからできるようになることです。事物のある性質がそれを変えるような本質的な変化が生じなければ変わらないことは保存と呼ばれ、この保存は知的操作の可逆性の結果生じるものと考えられます。この保存についての理解は、量や質については比較的早くできるものの、重さの保存については9歳頃にならないとできず、体積の保存に至っては11,12歳ころにならないとできないなど、その内容によって理解できるようになる年齢層が異なることが知られています。こういった保存の理解ができるようになっていくものの、具体的思考は経験的な現実に基づくもので、起こる可能性のある一定数の変化しか扱えないという点に限界があります。

 形式的操作期は、11歳から15歳くらいまでの時期です。この時期は、対象について操作の働きを適用するだけでなく、言葉で述べられた仮説に対しても操作の働きを適用することができるようになります。仮説を使って考えるためには、操作の上に操作をおこなう必要があります。このようなより複雑な思考によって、命題の結合や変換にかかわる操作ができるようになっていきます。

関連問題

●2019年-問128 ●2021年-問22

参考文献

  • Evans, R.I. 1973 JEAN PIAGET : The Man and His Ideas . E.P. Dutton & Co., Inc. NewYork 宇津木保(訳) 1975 ピアジェとの対話 誠信書房
  • Piaget,J. 1970 Piaget’s theory P.H.Mussen(Ed.) Carmichael’s manual of child psychology(3rd ed):vol1. Nes York:Hohn wiey & Sons. 田中啓(訳) 2007 ピアジェに学ぶ認知発達の科学 北大路書房
  • Piaget,J. 1947 La psychologie de I’inteligence. Paris : A Colin 波多野完治・滝沢武久(訳) 1960 知能の心理学 みすず書房
  • Richmond, P.G 1970 An introduction to Piaget senior lecture in education st Osyth’s College of Education, Clacton. 生月雅子(訳) 1972 ピアジェ入門 家政教育社
  • 氏原寛・亀口憲治・成田善弘(他・編) 1992 心理臨床大辞典 倍風館
  • 白井桂一 2005 ジャン・ピアジェ 西田書店

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