マーラーの分離-個体化理論

マーラーの分離-個体化理論

 マーラー(Mahler,M.)は、母親からの精神内的な分離感覚の達成に「分離」という用語を用いて、分離と相補的に発達していく「個体化」の過程とあわせて、子どもの心理的な誕生を「分離-個体化過程」としてまとめました。母親からの分化、隔たり、境界線形成、離脱に沿って進行する分離という精神内発達が分離の過程で、精神内自律性、知覚、記憶、認知、現実吟味の進歩が個体化の過程です。

分離-個体化過程以前:正常な自閉段階、正常な共生段階

 分離-個体化の過程は、生後4~5か月頃から始まるとされており、それに先立つ時期は、分離-個体化過程以前とされます。そして分離個体化過程以前は、生後2~3週間の『正常な自閉段階』と、それに続いて2カ月目以降はじまる『正常な共生段階』からなります。

 『正常な自閉段階』は、外部刺激に対する反応が相対的に少ない段階です。この時期は生後2~3週間にあたり、乳児が母親を認識しない時期とされます。空腹をはじめとした欲求不満は、現実的には母親やそれに代わる養育者によって満たされているわけですが、新生児は母親を認識できないため、お腹が空けば自然とそれが満たされるような全能的な世界に生きており、自閉的な球の中にいるように思われるところから名づけられています。

 やがて、2カ月目以降、欲求充足対象である母親をぼんやり意識する『正常な共生段階』が始まります。とはいえ、この段階の乳児では、「自分」と「自分以外のもの」といった分化はなされておらず、自分と母親があたかも1つであるかのように機能します。この、母子未分化で融合した状態を共生という言葉は表しています。正常な自閉段階で乳児を包んでいた自閉的な球は壊れ、母子単一体を包む共生球が形成されます。客観的に見れば母と子という2つの別々の個体がりますが、乳児の主観的にはそれが融合しており、内と外をわける境界を共有している点に、共生の本質的な特徴があります。一般的に、刺激は外界から生じるものとして認識されるものですが、この時期の乳児ははっきりと外界に生じるものとして認知していないと考えられ、良い体験と悪い体験として各々が貯えられつつ、共生段階を通じて刺激への関心を増加させていきます。

分離-個体化過程:分化と身体像の発達、練習、再接近、個体性の確立と情緒的対象恒常性の始まり

 分離-個体化過程以前に続く、分離-個体化の過程は、『分化と身体像の発達』、『練習』、『再接近』、『個体性の確立と情緒的対象恒常性の始まり』の4つの下位段階に分けることができます。

 生後4~5カ月頃には、分離-個体化過程の第1下位段階である、『分化と身体像の発達』がはじまります。この頃には、それまで抱かれている時に単に体を合わせていたのとは対照的に、母親の顔まわりを触ったり、体を母親からぐっとそらして離れようとしたり、子どもが自分の体と母親の体を区別しはじめる行動が見られるようになり、またこの過程で、母親と母親以外も区別し始めます。それまで、大部分が共生球の内部に向けられていた注意が、次第に外部へと向けられていきます。そして、その外部には母親も含まれるようになっていきます。良い体験と悪い体験は母親と結び付けられ、悪い体験は自分ではどうしようもないものではあるものの、母親の世話によって軽減されるものと確信して期待されるようになります。

 『分化と身体像の発達』において、母親との特殊な結びつきが確立されることなどが基礎となり、続く第2下位段階の『練習』が促されます。練習の段階は、這ったりよじ登ったりといった母親から身体的に離れようとする初期の段階の初期練習期と、直立歩行によって特徴づけられる本来の練習期にさらに区分けすることができますが、練習の段階を通して、移動運動能力が拡大することで、子どもの世界は広がりを見せるようになります。そうして、運動技術の練習にエネルギーが注がれるようになりますが、運動技術そのものの発達ではなく、運動技術の練習にエネルギーが注がれることがこの段階の特徴です。とはいえ、延々と1人で練習し外界の探索を続けるというよりも、母親のところへ定期的に戻って、時々母親の身体的接近を必要とします。このようにこの時期の母親は、身体接触によってエネルギー補給するような「基地」として必要とされ続けます。

 その後、15カ月から24カ月の間に、第3下位段階である『再接近』が始まります。再接近はさらに、初期再接近期、再接近危機期、危機を個人的に解決する時期に細分することができますが、再接近のはじめの頃には、イナイイナイバー遊びに見られるように、子どもの関心が独立運動から社会的相互作用へと移っていきます。練習の間は分離した一人の人間としてというよりも子どもが必要としたときに戻るための基地としてあった母親が、再接近の段階では一人の人間として扱われるようになっていくのです。そして、認知能力の発達と情緒生活における分化の増大といった発達に伴って、次第に子どもは母親との分離を意識するようになり、分離への不安が見られるようになります。この分離に対して、子どもはかつての共生状態のような万能的な状態を取り戻せることを期待しつつも、実際には様々な機能が発達していることでその幻想的な状態には戻りえないため、次第にその万能感を放棄しなければなりません。これは再接近危機とされます。親から分離して全能でありたいと望み、かつ実際には外界から助けが入るということを認めることなく、母親に欲望を魔術的に満たしてもらいたいという欲求と、分離による母親の喪失をめぐって、母親を押しのけたい願望と母親にしがみつきたい願望が急速に交代する、両価性がこの時期の特徴です。この両価性は、「良い」対象と「悪い」対象のせめぎ合いとも見て取れます。母親の存在に対して相対的に関心が薄かった練習期に対して、再接近では絶え間ない関心と積極的な接近が多くみられるようになってきます。母親がこれらの両価性を受容し、情緒的に有効であることに助けられて、個々人で最適な距離感を再発見していきます。

 ほぼ3年目にあたる『個体性の確立と情緒的対象恒常性の始まり』では、個体性と対象恒常性がある程度達成されます。対象恒常性は、対象を表象として保持することで、物理的に対象が不在の時でもその対象を内的に保っていられることを意味しますが、この対象恒常性には「良い」対象と「悪い」対象の統合という意味も含まれています。対象恒常性がうまくいくようになることで、母親が物理的に不在な時でも、比較的安定した信頼に足る内的イメージの存在が不在の母親の代用となり得るのです。
この段階は、対象表象から明確に分離したものとして自己の心的表象を確立することによって、自己同一性の形成への道が開かれる段階であり、その後に継続していく未完結な段階という点で他の段階とは異なります。また、分離-個体化の各段階は、その後の段階に完全にとって代わられることはなく、生涯を通じて残存するものと考えられています。

参考文献

  • Maher,M. Pine,F. & Bergman,A.(著)高橋雅士・織田正美・浜畑紀(訳) 2001 乳幼児の心理的誕生 黎明書房

< 発達心理学