心的外傷後ストレス障害

心的外傷後ストレス障害

 外傷が精神医学的にどのような影響を及ぼすかについては、19世紀後半に保険制度法制化への関心が高まったのに続いて、関心が向けられるようになりました。最初に訴訟で争われるようになったのは、鉄道事故後に脊髄にあらわれる障害と考えられた「鉄道脊髄症」でした。エリクセン(Erichsen,J.E)は、脊髄に微細な神経損傷が生じていると考え脊髄震盪としましたが、後年妥当性に対して反論にあい、その反論を認めています。

 その後、1877年には、シャルコー(Charcot,J.M.)がサルペトリエール病院の講義の中で、軽微な外傷後に生じる身体部位の機能不全を「局在ヒステリー」と呼びました。これに対して、症状がヒステリーの一部であるという考えに反対であったオッペンハイム(Oppenheim,H.)は、1888年に「外傷性神経症」という用語を使用し、神経学的な変化の明らかなものは器質的に引き起こされたという考えを表明しました。1893年には、クレペリン(Kraepelin,E.)がオッペンハイムの外傷性神経症を精神医学の教科書に取り入れ、「驚愕神経症」と呼んでいます。驚愕神経症の概念では、再体験症状、麻痺症状、過覚醒症状についても触れられており、現代のPTSDとの類似点が指摘されています(金 2012)。

 やがて1914年からはじまった第一次世界大戦の中で、精神医学的な症状と外傷とが関連付けられるようになり、それまでにも戦争で心理的に負傷した兵士のために用いられていた「戦争神経症」や、「全般性神経性ショック」といった概念が、「砲弾ショック」、「戦争消耗」などとして論文などで取り上げられるようになります。

 その後、イェール大学教授のリフトン(Lifton,R.J)らに一部主導されたベトナム戦争の帰還兵たちによる政治的な働きかけもあって、1980年のDSM-Ⅲに「心的外傷後ストレス障害」が収められました。これは1952年のDSM-Ⅰの「重度ストレス反応」の延長上にあるものですが、心的外傷の再体験、麻痺、過覚醒が整備された点で大きく異なりました。当初は、PTSDの患者としてベトナム戦争後症候群の退役軍人が想定されていましたが、やがて強姦や犯罪、事故の被害者などにも適用できる事が示されていきます。

 さらに、1987年頃からは、当時のPTSDでは説明しきれないような重度のトラウマ症状が認められることが指摘されはじめ、ハーマン(Herman,J.)によって複雑性PTSD(Complex PTSD:CPTSD)の概念が提唱されるなどしました。
 この複雑性という言葉について、大江(2021)は、「複雑」という言葉が「トラウマ体験」を修飾する場合と、「症状」を修飾する場合があることを認識しておくことが、複雑性PTSDの診断概念を整理する上で重要だとしています。つまり、出来事も症状も単純であるもの、出来事は単純で症状が複雑なもの、出来事が複雑で症状は単純なもの、出来事も症状も複雑なものとに分けて考えることで整理がしやすくなるとしています。

 2013年のDSM-Ⅴでは、心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic Stress Disorder : PTSD)が、適急性ストレス障害(Acute Stress Disorder : ASD)や適応障害とともに、心的外傷およびストレス関連障害群に分類されています。
 PTSDは、実際にまたは危うく死ぬ、重傷を負う、性的暴力を受けるといった心的外傷的出来事への暴露があることに加え、侵入症状、持続的回避、認知と気分の陰性の変化(自分自身や他者、世界に対する持続的で過剰に否定的な信念や予想、自分自身や他者への非難につながる、心的外傷的出来事の原因や結果についての持続的でゆがんだ認識など)、覚醒度と反応性の著しい変化が1カ月以上持続していることで診断されます。ASDは、侵入症状、回避症状、陰性気分、覚醒症状に加え解離症状(周囲や自分自身の現実が変容した感覚など)などが3日から1カ月持続していることで診断されます。
 DSM-Ⅴでは、CPTSDは公式の診断としては採択されませんでしたが、DSM-Ⅳからの改定で、PTSDの診断基準に「認知と気分の陰性の変化」や過覚醒症状として「無謀ないし自己破壊的な行動」が加えられた点などにその影響が見て取れます(原田 2021)。

 CPTSDはその後ICD-11に、PTSDの再体験症状、回避症状、脅威の感覚といったものに加えて、感情制御困難、否定的自己概念、対人関係障害といった自己組織化の障害が伴うものとして収載されています。

 PTSDの治療は、3段階からなるアプローチが必要であることが知られています。第1段階は、安定化と安全性、第2段階はトラウマ記憶の想起と処理、第3段階は家族と文化の統合と普通の生活です。治療は、薬物療法とあわせて、エクスポージャー、EMDR(eye movement desensitization and reprocessing ; 眼球運動による脱感作および再処理法)などがおこなわれますが(飛鳥井 2002)、その前提として、特に第1段階で治療環境と治療関係が安全であると感じられることは、治療の肝になるとされています(Rothchild,B 2011)。

関連問題

●2018年‐問143 ●2018年(追加試験)‐問117問154 ●2019年‐問22、●2020年‐問54問76 ●2021年‐問14問76

引用・参考文献

  • 飛鳥井望 2002 外傷後ストレス障害および悲嘆反応 日野原重明・井村裕夫(監修) 看護のための最新医学講座12 精神疾患 pp.328-338 中山書店
  • 原田誠一(編) 2021 複雑性PTSDの臨床“心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう 金剛出版
  • 金吉晴 2012 PTSDの概念とDSM-5に向けて 精神経誌114(9) 1031-1036
  • 大江美佐里 2021 複雑性PTSDにおける診断の歴史と意義-児童期の逆境体験ACEsの問題も含めて-精神療法47(4)14-19
  • Rothchild,B. 2011 Trauma Essentials: The Go-To Guide  W. W. Norton & Company 久保隆司 2015 これだけは知っておきたいPTSDとトラウマの基礎知識 創元社
  • Shorter,E. 2005 A HISTORICAL DICTIONARY OF PSYCHIATRY Oxford University Press 江口重幸・大前晋(監訳) 2016 精神医学歴史事典 みすず書房