喪失と悲嘆

喪失と悲嘆

 喪失とは価値や愛情、依存の対象を別離、拒絶、剥奪によって失うことであり、喪失で生じる悲しみや絶望感といった情緒的苦しみが悲嘆とされます(中島他 1999)。喪失の対象は、人物、所有物、環境、身体の一部、目標や自己イメージに整理することができます(坂口 2010)。喪失はなにかを失う事であり、変化には獲得と喪失が含まれていると考えると、これらはストレスとも関連の深い概念となります。

 悲嘆の反応は、感情や認知、行動、生理身体的な領域にわたり、さまざまなものがみられるように、悲嘆とは無数の反応、持続的変化、文化的差異のある複雑な情動のあらわれです。これに対して、①悲嘆の時間経過、あるいは特定的ないし一般的症状の強度において、および/または②社会的、職業的、ないし他の重要な活動領域における阻害のレベルにおいて、文化的規範から臨床的に意味のある逸脱がみられることを複雑性悲嘆といいます(Margaret, S.S et.al 2008)。Worden, J.W.(1991)は、異常な悲嘆反応として、持続期間が極端に長すぎて、いつまでも解決されない慢性的な悲嘆反応、延期された悲嘆反応ともいわれる時期はずれの悲嘆反応、感情に圧倒されて不適応行動に訴える誇張された悲嘆反応、自分を苦しめている症状や行為が喪失に関係していることに気づいていない仮面悲嘆反応などをあげています。

喪の作業(mourning work)・悲嘆の作業(grief work)

 モーニング・ワーク研究は、Freud,S.がその端緒であるとされます(今尾 2009、坂口 2010、山本 2014)。Freud,S.(1917)は、正常な悲哀とメランコリーを比較し、悲哀を「愛する者を失ったための反応であるか、あるいは祖国、自由、理想などのような、愛する者のかわりになった抽象物の喪失に対する反応」としました。そして、愛する対象が存在しないことがわかると、すべてのリビドーがその対象との結びつきから離れることを余儀なくされるものの、それが達成されるまでは時間と充当エネルギーがたくさんかかるとします。その間は、失われた対象は心の中に存在し続けリビドーはそこへ解放されるものの、悲哀の作業が完了したあとには自我は自由になって制止もとれるとしています。Freud,S.が「悲しみ」を表記するときに用いたのは「Trauer」というドイツ語でしたが、それが英訳されたときに、フロイト著作集ではmourningと訳され、地域課での死別ケアを開拓したLindemann,E.はgriefと英訳したため、以降、精神分析や臨床心理学ではmourning、医療や看護ではgriefという用語が使われることが多いとされます(山本 2014)。

 喪失とそれに伴う悲嘆については、障害の受容と重ねて論じられることもあり、様々な角度からモデルが提唱されています。

 モーニング・ワークが一般的な順序を持ついくつかの段階を経て、喪失の受容に至るとするモデルは、段階モデルとされます(今尾 2009)。

 Dembo,T. やWrigh,B.(1960)は、第二次世界大戦における受傷者の研究を通して、喪失の受容において価値の変化が重要であることを指摘しました。非受傷者との違いを受け入れられない場合には、困難が克服できないだけでなく、新たな困難が生じる可能性があるとします。なぜなら、非受傷者と同じようにあろうとする試みは、現実的なものにしろ、非現実的なものにしろ、対人関係において齟齬をきたすようになるからです。そして、障害を克服するためには、失われたもの以外にもその人がもつものに目を向けることで失われたものがその人にとって本質的ではないと感じられることや、失われたものを比較価値(他者との比較による価値)でなく資産価値(自身における価値)としてとらえることなどが、喪失を克服するための価値観の変化であるとしました。

 E.Kübler-Ross (1969)は、終末期患者へのインタビューから、死にゆく患者の心理プロセスとして、否認(Denial)と孤立、怒り(Anger)、取り引き(Bargaining)、抑うつ(Depression)、受容(Acceptance)を示しました。このモデルは、各段階の英語の頭文字をとってDABDAモデルとも略称されます(山本 2014)。

 Fink,S.L. et al(1971)は、人間は、危機的状況に適応する際に、混乱が生じる衝撃の段階にはじまり、現実を否認し希望に満ちた考えにふける防衛的段階、改めて現実に直面してもはや現実からは逃れられないのだと気づく承認の段階を経て、現在の資源や将来の可能性について考えていく適応と変化の段階へ進んでいくとしました。

 これら段階モデルに対して、慢性疾患領域では意義が唱えられるようになります。例えば、Olshansky,S.(1962)は、知的障害児を持つ親の多くは、慢性的な悲しみに苦しんでいることを示しました。また、脳性麻痺児の親を対象とした研究でも、障害の受容過程において、特に乳児期が重要ではあったものの、その後も母親は多くの問題に当面しており crisis periodは成長、発達過程を通じて存続している可能性が示されています(広瀬・上田 1989)。

 さらに、段階モデルや慢性悲嘆モデルにあてはまらない心的過程がある可能性も示されています(今尾 2004)。中田は、発達障害の家族支援における障害受容について考察する中で、段階モデルに当てはまる例や慢性的悲哀が多くの親に認められることを考慮し、「障害の認識の過程で家族には障害を認める気持ち(肯定)と障害を否定する気持ちの両方がある。この両面感情は,表裏の色の違うリボンを巻き取って 螺旋に伸ばしたり縮めたりしたときのように,状況によって現れ方が変わる。家族が子どもの障害を肯定しているようでも,内面では障害を否定する心情が存在し,家族が障害を否定しているようでも,それは障害を認め受け入れようとする過程と考えるべきであろう。」と障害受容の螺旋形モデルについて言及しています。螺旋形というのは,リボンを巻き取った状態が螺旋になることにたとえたのと,もう一つは障害受容の過程が一直線に進むものではなく,螺旋のように 紆余曲折しながら進むという意味を込めた考え方です(古屋・中田 2018)。このような螺旋モデルは、発達障害を持つ家族に限定されない可能性も示唆されています。例えば、中馬・土井(2011)は、2型糖尿病患者のインスリン療法に対する心理的行動的反応の変遷について調べた結果、当初【インスリン療法に対する否定的感情】完全には消失しなかったものの【インスリン療法の知識による認識の変化】、【インスリン療法の開始を決意】といった過程を経て、【インスリン療法を維持する意志と行動】という肯定的な態度へと変遷していたとして、心理的行動的反応が肯定と否定を揺れ動きながら螺旋状に進展していくモデルを作っています。

グリーフケア・ビリーブメントケア

 死別を経験した人への援助を表す言葉として、グリーフケアやビリーブメントケアといった用語が同義的に使われています。ただし、ビリーブメントケアが死別ケアを意味するのに対し、グリーフケアは死別を含む喪失全体へのケアを意味しており、厳密には異なる用語です(坂口 2010)。

  Worden,J.W.(1991)は、自身のあげた悲哀の四つの課題に対応するかたちで、グリーフカウンセリングの目標を示しています。かれは、悲哀の四つの課題として、喪失の事実を受容する、悲嘆の苦痛をのりこえる、死者のいない環境に適応する、死者を情緒的に再配置し、生活をつづけるをあげています。そして、複雑でない悲嘆に対するグリーフカウンセリングの目標をこの悲嘆の四つの課題に対応する形で以下のように示しました。

  • 喪失についての現実感を強めること
  • カウンセリングを受ける人が、言葉になった感情と言葉にならない感情の両方を処理できるように援助すること
  • カウンセリングを受ける人が、喪失後のさまざまな障害を乗り越えて再び適応できるように援助すること
  • カウンセリングを受ける人が、サヨウナラを適切にいえて、生活にエネルギーを投資する心地よさを感じられるよう力づけること

 またこれらを達成するために、グリーフカウンセリングの原則を以下のように示しています。

原則1:遺された人が喪失を現実のものとして認められるように援助する

原則2:遺された人がもろもろの感情を認め表現することを援助する
 怒り、罪悪感、不安や無力感は問題なりやすいため、それらの感情をうまく処理できるように援助をします。

原則3:故人なしに生きることを援助する
 故人がとっていた役割を引き継ぐことができるように援助します。

原則4:故人に対する感情の再配置を促す
 遺された人が死者との関係をあきらめる手伝いをするのではなく、彼らの情緒的な生活の中に死者のための適切な場所を見つける作業を手伝います。

原則5:悲嘆に時を与える

原則6:悲嘆の際の<通常>行動について説明すること

原則7:個人差を認めること

原則8:援助を持続させる

原則9:防衛と対処様式を検討すること
 防衛のうち、アルコールや薬物などの使用は喪失への有効な適応はできないと考えられるため適切に対処しつつ、クライエントとカウンセラーが一緒になってより効果的な対処の手段を探求します。

原則10:病理を識別して委託すること

 さらに、Worden, J.W.(1991)は、上述の複雑な悲嘆へのセラピィの手順として、以下を挙げています。

  1. 身体的疾病の排除
  2. 契約の提起と同盟の確立
  3. 個人を思い出させること
  4. 四つの悲嘆課題(Ⅰ:喪失の事実を受容する。Ⅱ:悲嘆の苦痛をのりこえる。Ⅲ:死者のいない環境に適応する。Ⅳ:死者を情緒的に再配置し、生活をつづける)のうちのどれが完了していないかの評価
     Ⅰが未完了の段階では、故人は死んだという事実を受け入れ、故人を自由にしてあげなければならないということに焦点を合わせます。また、Ⅱが未完了の場合、故人に対する肯定・否定両方の感情を感じても安全であり、さらにはそらのバランスを取れるようになることが焦点に、Ⅲが未完了の場合は、新しい役割などの獲得によって生活を取り戻すように励まされます。Ⅳが未完了の場合には、故人への愛着から解放されて、自由に新しい関係を育て、生活していけるように援助をします。

5.想い出によって刺激された感情とその欠如のあつかい方
 個人についてのアンビヴァレントな感情をいっそう探ることによって、徐々に言葉の裏に含まれている怒りに近づき、最終的にはその怒りに触れられるように根気強く援助します。

6.想いをつなぐ物の探索とその影響力を弱めること

7.喪失という最終状態を承認する

8.悲嘆を終わらせる空想のあつかい
 悲嘆を終わらせたくなるようなことや、代わりにそこに何があったらいいかといったことをあれこれと空想させてみます。

9.患者が最後の別れの挨拶を言えるように手助けをする。

関連問題

●2022-問21問114 ●2021年-問117 ●2018年-問20問21

引用・参考文献

  • Dembo, T., Leviton, G. L., & Wright, B. A. (1956). Adjustment to misfortune—a problem of social-psychological rehabilitation. Artificial Limbs, 3(2), 4–62.Margaret, S.S., Robert, O. H., Henk, S. and Wolfgang,S. 2008 Handbook of Bereavment Research and Practice : Advances in theory and intervention. American Psychological Association. 森茂起 森年恵 2014 死別体験 研究と介入の最前線 誠信書房
  • Fink,S.L., Beak,J. and Taddeo,K. 1971 Organizational Crisis and Change. The Journal of Applied Behavioral Science7(1)15-37
  • Freud,S. 1917 Trauer und melancholie. Internationale zeidschrift fur arzriche. Psychoanalyse, 4, 288-301. 井村恒郎・小此木啓吾(他訳) 1970 悲哀とメランコリー フロイト著作集 人文書院 第6巻 137-149
  • 古屋健 中田洋二郎 2018 発達障害の家族支援における「障害受容」-その概念の変遷を巡って- 応用心理学研究44(2) 131-138.
  • 広瀬たい子・上田礼子 1989 脳性麻痺児の受容に関する調査-母親を中心に- 日本看護科学会誌 9(1) pp11-20.
  • Kübler-Ross, E. 1969 On death and dying. New York : Macmillan. 川口正吉(訳) 1971 死ぬ瞬間:死にゆく人々との対話 読売新聞社
  • 今尾真弓 2004 慢性疾患患者におけるモーニング・ワークのプロセス : 段階モデル・慢性的悲哀(chronic sorrow)への適合性についての検討 発達心理学研究15(2) 150-161.
  • 今尾真弓 2009 思春期・青年期から成人期における慢性疾患患者のモーニング・ワークのプロセス 発達心理学研究20(3) 211-223.
  • 中馬成子・土井洋子 2011 2型糖尿病患者のインスリン療法に対する心理的行動的反応の変遷 日本看護研究学会雑誌34(5) p.59-69
  • Olshansky,S. 1962 Chronic Sorrow A response to having amentally defective child. Socia Casework 42(4) 190-193.
  • 坂口幸弘 2010 悲嘆学入門 死別の悲しみを学ぶ 昭和堂
  • Worden,J.W. 1991 Grief counseling and grief therapy a handbook for the mental health practitioner second edition Springer Publishing Company, Inc., New York. 成澤實(監訳) 1993 グリーフカウンセリング 悲しみを癒すためのハンドブック 川島書店
  • 山本力 2014 喪失と悲嘆の心理臨床学 様態モデルとモーニングワーク 誠信書房